太陽との思い出。

天気が良くてまだ4月なのに夏を感じる日も増えてきたので、太陽と私の思い出のお話。

一年くらい前から自分の顔にできるシミやそばかすが気になるようになった。一気に増えていってるような気がして最初はとってもショックだった。焦ってシミ予防の化粧品を試したりもした。

だけど、なんで学生のころからちゃんと予防しておかなかったんだろう、、と後悔していた時ふと気が付いた。この私の顔にドットたちができた原因は青春の証なのだということに。

 

 

親友とオーストラリアに行ったとき、対して言葉も理解できないまま何とかなる精神でバスを乗り継いで行き着いた、シドニーの超ローカルビーチで一日中過ごした日。この頃は日焼け止めは朝一度塗れば十分だと思っていたので、持ち歩いていなかった(笑)

大学生の時所属していたサークルの毎年恒例のバーベキューイベントの日、炎天下の芝生の広場で何時間も水風船で遊んでずぶぬれになった思い出。その日の予定に水風船で遊ぶことなんてなかったのだけど、気が付いた時には先輩も後輩も関係なく水風船を投げ合っていて、みんな子供のようにはしゃいでいた。

ハワイで適当に日焼け止めをすりこんで、サーフボードに寝そべって海の上でお昼寝したこと。そして次の日には背中が真っ赤な大やけどで、痛い痛いと大騒ぎしながら着替えに一苦労したこと。日焼け止めの塗り方がまだらで背中に手の跡ができてた(笑)

 

全ては何度も戻りたいと願うほど、若くて怖いもの知らずで、今を生きることに精一杯で毎日を純粋に楽しんでいた日々の思い出なのだ。このことに気付いた日から毎朝自分の顔のドットたちを見ると、あの頃を思い出してパワーがみなぎってくる。今はさすがに肌の健康のためにも正しく日焼け対策をするようになったけど、変えられない過去を後悔せず、今の自分になるためにかけがえのない日々だったのだと思ってる。

今年は太陽と私たちのどんな物語が待っているのだろう。

考える力

”考える力は自由を手に入れることにつながる。”

 

大学の卒業式の日に教授からいただいたお言葉。

自分が本当に何をしたいのか、どうなりたいのか突き詰めていくことは想像するよりずっと思考力と忍耐力が必要なことだと思う。

信念を持って日々自分と向き合い、自らを励まして大なり小なり夢や理想を叶えていくことに生きがいを感じる人がいる一方で、そんなに深く考えずになされるがままに生きることに幸せを感じる人が大勢いることもよく理解できる。私は前者の生き方をしてきたし、これからもそう生きていきたいと思っているのでこの教授の言葉に深く励まされた。

20歳ごろから自分が何になりたいのか、どんなものが好きで何に価値を感じているのか、真剣に考えるようになった。

海外の文化には昔から興味があったので最初は旅行会社のツアーガイドになりたいと思ったり、そこから派生して客室乗務員として世界中を飛び回りたいと思ったことも。。またある時には、大好きな映画「プラダを着た悪魔」にインスパイアされてファッション雑誌の編集者になろうと思ったり、ファッション関連でインフルエンサーになろうかなと思っていたこともあった。さらに考え続けてそれらは私のやりたいこととは全く違うと確信するのだけど(笑)

もう少し深く考えることができるようになると、ただ好きなことをするだけではなく、すべての人がありのままの姿で生きられる社会に貢献できれば、私はより生きがいを感じられるのだということも分かってきた。それは自らの性格や見た目にコンプレックスを感じていたところから、様々な本や人の発信するメッセージに勇気づけられ、自分の個性を愛せるようになった経験があるからだということにも気づいた。

そして今やっと、近い将来実現したい自らの夢と呼べるものが初めて分かった。個人的には夢と呼ぶと果てしような気がするので、計画だと思って今できることを着実にしていくことを大切にしている。そのことを考えているときには情熱が溢れて、そこから繋がっていくたくさんの夢も想像することができる。

こういう感覚を味わえるほど私にとって大切な目標に出会えたのは考えることをやめなかったからだと思う。たまには信頼できる人に相談して凝り固まった自分の考え方を違う目線から見るのはとっても大事。だけど疲れたからといって他人の意見に妥協してはいけない。最終的に答えを確信できるのは自分だけだから。考えすぎて途中でパンクしたことだって何度もある。そういう時には他人に自ら幸せを委託する道を選びそうになったりもした。それでもやっぱり自分が何を目指したいのか、何に最も情熱を感じるのか知りたくて、思考の迷路に戻ってきた。そして、目標を確信するというゴールに辿り着くことができた。

今はまだ第一段階のようなもので、大きな一歩を踏み出すのは少し先になるけど、人生をかけてやりたいと思えることが分かっているということに感謝している。毎日をエネルギッシュにしてくれるから。

ここからは計画を自由にコントロールできるように必要なものを考え、一つ一つ手に入れていくことに専念しようと思う。今は違う場所にいても、その時になったら今日の自分に感謝できるように。

 

方向転換できる人生。

お気に入りのNetflixドラマの一つ、「スイートマグノリアス」より、未来に希望を持たせてくれる言葉。

 

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To remember that just because you've traveled a distance doesn't mean you can't turn or ..... turn around

遠くへ旅をしたからといって方向転換が許されないわけじゃない

          (「スイートマグノリアス」シーズン2エピソード10より)

 

将来有望だったがケガで野球ができなくなり絶望する少年へ、幼馴染の父親がかけた言葉。彼自身、自らの過ちによってこじれてしまった家族との関係や、仕事に悩みを抱えながらも自らの思いを貫き、家族に思いを伝えたり、やりたい仕事で生活することに挑戦しようとしている。

 

私は、今本当に生きたい人生とは違う場所にいる。できることなら今すぐ行きたい方向へ飛び込みたいけど、完全に無鉄砲な性格ではないので、お金と自分の能力、それに世の中の現状を考えると今はそのタイミングではないのかなと思ってる。

近い将来実現するために貯金ができて、ある程度やりたいことのために時間を確保できるからという理由で今の会社では働いている。

とは言っても、起きている時間のうち半分くらいは仕事関係のことに費やすことになるし、仕事で疲れ切っている日には帰宅して自由に使える時間を休憩に使わなければならない時だってある。そういうことを実感するたびに「仕事なんかせずにすべての時間を目標実現のために使いたい」とか、「お金は必要だけど本当はこの仕事でなくても目標にアプローチしながら貯金する方法はあるんじゃないだろうか」という想いに駆られて焦りを感じる。目標から遠ざかっている気がして、不安で涙が出る時もある。

 

そんな時にこの言葉を思い出すようにしている。確かに今私が仕事で学んでいること、身に着けていることは、自分が実現したいものとは直接関係しない。だけど自分が行きたい方向へ行く準備をするために必要だと思って選んだ道。焦りと途方もない不安で心が押しつぶされそうになることだってある。だけど目標は逃げない。今は違う場所にいたとしても、私がそちらへ向かって進み始めたらずっとそこにある。何歳になっても、今思っているより長い時間がかかったとしても、いつでも今だと思う時が来たら「方向転換」していいのだということ。

 

時間を大切にしながらも生き急がず、ゆったりと構えていられたらいいな。私の人生を決められるのは私だけなのだから、今だと思えばその時から歩み始めよう。まだ少し時間はかかるけど、毎日行きたい方向を見ていい。未来のために今を生きよう。

 

City of girls

私はニューヨークシティが大好き。

21歳の時初めて一人旅で訪れ、エネルギッシュで多様な側面を持つ街の虜になった。そんなこともあり新しく本買うとき、”ニューヨーク”というワードにつられて興味を持ったものをそのまま購入することもある。

 

エリザベス・ギルバート著、那波かおり訳の「女たちのニューヨーク City of girls」もそんな経緯で手に取った小説の中の一冊。

物語は始まりは1940年。主人公で良家の娘ヴィヴィアンは大学を退学になったことがきっかけで家を追い出され、20歳でニューヨークシティにやってくる。不自由なく育った彼女が、右も左も分からずシティにやってきた日から、ニューヨークシティが私の居場所だと確信するまでに経験した世のありさまと、当時の世間から見れば不完全でも愛さずにはいられなかった人々との友情を語る。

 

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今の私に勇気をくれたヴィヴィアンの言葉を抜粋。

 

「人はいろんなものをかかえて生きている。・・・・・・わたしたちは、わたしたちでしかあり得ないの、どうしようもなく。」

 

熟年の彼女が愛した友人の一人である、退役兵士のトラウマと自己嫌悪について聞いたときに発した言葉。

不完全で、愛することなんてできないと思われるような側面を持ちながらもそれがあなたで、あなたはそれでいいの、負い目なんて感じないで。みんな何かしら業を抱えていて、だからあなたを失望させるような言動をする人だっている。それはその人をそれほどに苦しめている何かだあるのだということ。

 

私自身つい最近、ある環境の変化がきっかけでもう人と関わりたくない(たとえそれが大切な家族や友達だとしても)という感情を持っていた。そうして大好きなはずの人たちをシャットダウンしてしまう自分が嫌で苦しくなっていた。そんなときにこの本を読んでヴィヴィアンの言葉に少し気持ちを楽にしてもらえた。

 

完ぺきではない自分も他人も、それがあるべき姿で、それが無くなってしまえばその人ではなくなってしまう。そう思うことで、自分のネガティブとも思える個性も受け入れようと思った。家族や友達、他人に対しても同じ。なんでこの人はこんなことするの?と感じたら、この人にも人には見えない困難があるんだろうな、と思って優しくなれたらいいね。

 

こんな感じのメッセージ性のほかにもこの本には魅力がたっぷり。

 

例えば、詳細なファッション描写は私がこの本を気に入った一つの理由。当初、主人公はニューヨークの劇場で衣装係の仕事をしているので、演劇衣装や俳優たちが身に着ける洋服について詳しく描かれている。ファッショナブルな登場人物たちがニューヨークシティで暮らす様子を想像するのはとってもわくわくして、今すぐあのきらびやかな街に飛んでいきたくなった。

 

あとは、第二次世界大戦最中の戦闘や一般の人々の様子と心情が、アメリカ人の視点から描かれているところも新鮮で、読む手が止まらなかった。

 

素敵な小説を初めて読んだ後には「まだ何も知らなかった頃に戻りたい」という感情に陥る。ワクワクしていたあの頃に戻りたい😌

 

旅のインスピレーション。

私は旅が大好き。特に一人で旅をするときはその地に住む人々のように暮らす。旅行なので期間が限られていて、最後には自分の家に戻っていくのは分かっているけど、せっかく来たのだからと言ってあれもこれも詰め込むのは性に合わない。その日の気分で、地図を見て行ってみたいところに訪れるような旅では何気ない瞬間にすごく大切な気付きを得られることもあって、旅から帰った時新しい自分になったような気がすることもある。

 

最近行った海辺へのスロー旅で得たインスピレーションについて。

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特に何をしようと思ったわけじゃないけど、ただ毎日海を見たくて選んだこの地への旅。古着屋さんや、小さな雑貨店、駅から少し離れていて観光客はほとんどいないカフェなどをのんびり数日かけてめぐった。行く先々で人に会い、普段しない会話をし、自分という人間への理解がリセットされた。

 

この旅に行く前まで、私は自分がどういう人間で何ができて、どんなことには向いていないというのをある程度分かっているつもりだった。そして、この先の人生でも得意なことをして、苦手なことは無理に頑張らなくていいや、そう思っていた。その考えを改める予定は今のところないのだけど、自分が思う”苦手”を疑う姿勢は大切だと思った。不得意だと思っていることも本当は自分が思っているよりもずっとうまくできるのかもしれないと。

 

私は昔からランダムにたくさんの人と友達になることが苦手だった。出会ったばかりの人の前で素の自分を出して会話をすることも。親友と数人の信頼している友達と、あとは家族の前くらいでしかありのままの自分でいることは難しかった。素の自分を出して変な人だと思われることを恐れていたのかな、、?だから普段は友達の友達だったとしても紹介されることには抵抗があって、人間関係の輪が広がっていかないようにすることに必死だった。新しい人に会ってストレスを感じるくらいなら、今周りにいる信頼できる人たちとずっと繋がってるだけでいいと思っていた。

 

息抜きのつもりで訪れたこの旅では無意識に、出会ったばかりの人を相手に今の自分の状況や感じたことをありのままの自分で話していた。そしてみんな私の話を聞いて喜んでくれたり、楽しく会話を続けてくれたりした。

 

国際女性デーにミモザ色のピアスを買ったとき「のんびり旅楽しんでくださいね。」という言葉をかけてくださったショップの店員さん。私にピッタリ合うデニムを一緒に探してくれて残念ながらそのお店には合うものがなかったのだけど、これから探すときに役立つ豆知識を教えてくれた古着屋のお兄さん。そのお兄さんに教えてもらって行った別の古着屋さんのお姉さんは先に行った古着屋さんのことを師匠だと思っていて、私が紹介されてお店に着たことを素直に話すとめちゃくちゃ喜んでくれたなあ。。

 

誰にも伝わらないかもしれない、私しか情景を思い浮かべることはできないかもしれない。だけどそういう瞬間に、私は自分で思い込んでいるほど人と関わることが苦手ではないのかもしれないと感じた。自分の中の新たな扉を開けるような大切な感情だった。確かに初めて会った人と話をするのはドキドキすることだけど、だからってそれをやらずに済ませてしまうほど嫌いではないんだなと気付いた。

 

自分で自分のことを理解し尽くしているという思い込みを捨てよう。自分の中のネガティブな感情をいつも疑うようにして、自分に可能性を与える生き方をしよう。

 

自分の周りの人間関係、無理に広げる必要はないけど、乱れないように必死で留めておく必要もない。肩の力を抜いてありのままの自分で話しかけたとき、私の話を聞いてくれているなと感じられる人がいたら、浅くても新しい交友関係の始まりだと思うことにしよう。

 

大好きなVintageのお話。

古着やセカンドハンドってすごく今の時代に合っていると思うので私なりの考えを少し書いてみる。

 

もともとVintageのお洋服は好きだった。古着屋さんでのお買い物ってただ物を買うだけじゃなくてその時の会話や、お店にたどり着く道中のことまで全部思い出になってる。アイテムを見るたびに買った時の情景が思い浮かぶのが楽しい。

 

買う時に店員さんからどんな国のどんな人たちが着ていたのか教えてもらうのはとてもワクワクする瞬間。タグに書かれてるイニシャルを見つけたり、Tシャツのプリントを見てストーリーを想像するのも醍醐味だと思ってる。

 

以前、アパレルメーカーの店舗でアルバイトをしていた時、売り切れているわけでもないのに毎日大量に新しい洋服を店頭に並べる作業をしていて、この世にこんなにたくさんの服って本当に必要なのかなという疑問を持った。新しい商品が出たら最初はみんな飛びついて買うのに、数週間もすれば次の新商品に注目は移り、最終的にはどの商品も儲けが出ないほど値段を下げても売れ残ってしまうという循環を見ていて切なくなったのを覚えている。一度全世界で一斉に洋服の生産をストップして、今すでにあるものからみんなが好きなものを選んで買う期間を作ってみたら無駄がなくなるし、それでも十分ファッションを楽しむことができるんじゃないか、なんてことを考えたこともあった。

 

そんな大きなことは私の力ではできないのだけど、私が古着屋さんに行って素敵なものを掘り出すことは、少なくとも私が目の当たりにした生産過多に加担していないと信じている。だから古着を買う時はいつも100%ハッピーな気持ちでお買い物ができる。そして、宝探しのような感覚でお気に入りを見つけたら一生大切に着ようと毎回思う。洗濯は天気の良い日を選んで自分の手で洗うくらい、大好きな洋服が集まっているのが私のワードローブ。昔は同じ服をずっと着ることは避けたかったけど、今は逆。数年前の写真と同じ服を今も着ているということに価値を感じる。

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最近行ったVintageショップのお姉さんは、「お買い物は自分へのプレゼントだと思っているんです。」と言ってショッパーにリボンをつけてくれた。素敵だなあとまた一つお気に入りのアイテムと思い出が増えた💓

 

いつかお気に入りのVintageのお洋服とその思い出についても書いてみようかな。

International women’s day に考えたこと。

実生活にもメディアにも日々sexismを感じる世の中。深く考えていなかった頃には気付くこともなかった性別による人々の扱いの違いに直面することは沢山あるのだけど、たいていそれらは差別だと認識されてもいない。

 

躊躇なく立ち向かっていくほどの強さを持っていない私は、日本の社会のジェンダー平等への意識ってまだその程度なのかともうあきらめてる時もある。変わってほしい、声を上げなきゃ、反発しなきゃ、と想いは溢れてくるのだけど、外へのアクションにしか意味を見出さなくなると、跳ね返され続けて何も悪くない私たちが苦しくなってしまう。実際、”怒り”という感情が大の苦手な私にとっては、気付かないふりをしてその場しのぎをするほうが楽な時もある。

 

だけどただの傍観者でいたくないというのも事実。

 

意識が浸透するスピードは私たちが願うよりもずっと遅くて、みんなが生きやすい社会はもしかしたら私が生きている間に実現されないのかもしれない。

 

だから今思うのは、批判されても、受け入れられなくても、相応な扱いを受けられなくても、自分自身だけは私を愛すること、認めることをやめないこと。自分の外へ発信するだけではなく、内側をケアして自分を守っていくことも大切なんじゃないかな。立ち向かうことはやめないけど、時々弱気になってしまう自分も愛する強さをもって、社会の理不尽に振り回されない練習をしよう。

 

もちろん、自分への愛と同じようにほかのどんな個性を持つ人たちのことも尊重して、ありのままで生きられる社会を共に目指したい。